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報告52: 正しい文章,書いてますか?

はじめに

私は,作文あるいは小論文についてはエリート教育を受けてきたといってよい.私の母は過去に「作文コンクール」なるもので受賞した経験があるらしく,こと文章の作成については特に厳しい教育を受けた(逆に国語,算数,理科,社会といった4科目は特に教育を受けた記憶がない).過去には作文が上手に書けず何度もやり直す中で喧嘩となり,包丁を向けられたこともあった.そのくらい厳しかった.さらに中学受験時には600字の小論文を書かなければならず,3ヶ月だけ通った塾では何度も練習をさせられた.このように文章作成技術に限っては,エリート教育(?)を受けてきたといってよいだろう.結果,小論文等を求められた際には,まともな仕上がりのものを提出することができており,実際に質を評価されることも多い.そこで今回は,私が「まともな」文章を作成する際に注意していることをいくつか書いてみようと思う.既に知っていることが多数あるかもしれないが,「この人は文章を作成するとき,こんなことに注意しているんだなぁ」という感想を持っていただけたら幸いである.

「ねじれ文」の解消

まずはじめに,私が何よりも注意を払っていることは「ねじれ文」を作らないことである.ねじれ文とは主語に対して述語の使い方が適切でない文章のことをいう.例えば,

私が御社を志望する理由は,モノを適切に流通させることで,日本経済を支えたいと考えました.

という文章があったとする.これは「ねじれ文」である.なぜならば「理由」という主語に対して,「〜考えました.」という述語を用いることはできないからだ.もし「〜考えました.」という述語を使用するのであれば,「私」という主語を用いるのが適切であり,「理由」という主語を使用するのであれば,「〜からだ.」という言葉を述語にするのが適切だ.つまり,

私が御社を志望する理由は,モノを適切に流通させることで,日本経済を支えたいと考えたからだ.

あるいは,

私は,モノを適切に流通させることで,日本経済を支えたいと考えました.

と改めるのが良い.本例のような短い文章であれば,このような「ねじれ文」は生まれ得ないであろう.しかし,長い文章を作成しているとき,あるいは途中で文章を変更したときなどは注意が必要である.本ブログでも文章を見直す時間が取れないときには,このねじれ文が紛れ込んでしまうことが多々ある.

一文の長さは80字まで

次に私が注意を払っている事柄は,「一文の長さ」である.一文はなるべく簡潔にする必要があり,80文字を超えないのが望ましい.以下の例は,志望動機を350字以内で述べているものである*1が,うまく文章をまとめることでより良くなる.

私は新興諸国,特に東南アジアで,当地の経済的な発展に大規模に,かつ継続的に寄与するような仕事にチャレンジしたい.インドネシア旅行の際に目にした,未だ形をとらない若いエネルギーに溢れる町の様子に衝撃を受け,この活気が成長に結びつくその渦に貢献することに大きなやりがいを見出せると考えたからである.阪和興業では基幹事業である鉄鋼事業に携わり,これまで御社が培ってきた技術や仕事をもって,そうした新しい発展に直接的に貢献したい.東南アジアを拠点に海外事業の拡大を目指す御社のビジネスに参画し,地域産業の根幹に関わり得る鉄鋼事業ならではの規模感と,御社が鉄鋼事業領域に持つ多彩で固有の機能をもって,アジア諸地域のエネルギー溢れる成長に継続的に必要とされる仕事を創り出したいと考えている.

この文章は特に後半の一文が長く,主張が伝わりづらい文章となっている.この文章を改めてみよう.

私は新興諸国,特に東南アジアでの大規模かつ継続的な経済発展に貢献できる仕事に挑戦したいと考える.なぜならば,この仕事は東南アジアの将来にとって非常に重要なものであるだけでなく,私にとって大きなやりがいを感じられるものであるからだ.私はかつてインドネシアへ旅行した際,この国のもつ若いエネルギーや活気あふれる様子に衝撃を受け,このエネルギーを経済発展へと結びつけたいと考えるようになった.一方阪和興業は,地域の基礎産業となりうる鉄鋼事業領域に強みを持ち,現在東南アジアを拠点に海外事業の拡大を目指している.そこで私は,御社の東南アジア地域での鉄鋼事業に携わり,多くの雇用を創出することで,自身の目標である「東南アジア地域の持続的な経済発展への援助」を達成したい.

80字を超える文章がなくなり,おおよそまとまりが良くなったのではないかと思う.80字を超える文章を生み出さないようにするために大切なことは,「一文一義,あるいは一文二義」を心がけることである.さて一文一義とは一体何であろうか?1つの文章に1つの情報を含む文章のことを一文一義の文章といい,1つの文章に2つの情報を含む文章のことを一文二義の文章という.例えば,

私は新興諸国,特に東南アジアでの大規模かつ継続的な経済発展に貢献できる仕事に挑戦したいと考える.

という文章は一文一義である.なぜならば仕事に挑戦したいという情報しか含まれていないからだ.一方で,

私はかつてインドネシアへ旅行した際,この国のもつ若いエネルギーや活気あふれる様子に衝撃を受け,このエネルギーを経済発展へと結びつけたいと考えるようになった.

という文章には,「衝撃を受けたこと」と「経済発展へと結びつけたいと考えるようになったこと」の2つ情報が含まれている.このように1つの文章に2つの情報を含むものが一文二義である.ちなみに,

1つの文章に1つの情報を含む文章のことを一文一義の文章といい,1つの文章に2つの情報を含む文章のことを一文二義の文章という.

も一文二義だ.

この例では他に改めた部分がいくつもあるが,内容を変更することなく表現方法を改めるだけで印象は大きく変化する.

その他注意していること3点(構造,修飾,指示語)

補足として,私が先ほどの例文で他に改めた部分をいくつか指摘しておく.私は,まずはじめに,意見(主張)→理由→具体例という構造が明確になるよう書き改めた.次に修飾関係を明確にし,最後に「こうした」「そうした」などの指示語を減らすように工夫した.

私は新興諸国,特に東南アジアで,当地の経済的な発展に大規模に,かつ継続的に寄与するような仕事にチャレンジしたい.インドネシア旅行の際に目にした,未だ形をとらない若いエネルギーに溢れる町の様子に衝撃を受け,この活気が成長に結びつくその渦に貢献することに大きなやりがいを見出せると考えたからである.

という文章では,意見を述べた後に理由を述べる文章が続いているのだが,同時に過去の具体例が展開されているため分かりづらい.そこで理由と具体例を2つの文章に分けた.また理由を述べる文章の先頭に「なぜならば」を持ってくることで,その文章が「理由」を表すことを明確にした.結果,

私は新興諸国,特に東南アジアでの大規模かつ継続的な経済発展に貢献できる仕事に挑戦したいと考える.なぜならば,この仕事は東南アジアの将来にとって非常に重要なものであるだけでなく,私にとって大きなやりがいを感じられるものであるからだ.私はかつてインドネシアへ旅行した際,この国のもつ若いエネルギーや活気あふれる様子に衝撃を受け,このエネルギーを経済発展へと結びつけたいと考えるようになった.

という文章になった.また言葉の修飾関係についてであるが,一文目に着目すると,

私は新興諸国,特に東南アジアで,当地の経済的な発展に大規模に,かつ継続的に寄与するような仕事にチャレンジしたい.

「大規模に」と「継続に」がどの言葉を修飾しているのか分かりづらい.そこで私は,

私は新興諸国,特に東南アジアでの大規模かつ継続的な経済発展に貢献できる仕事に挑戦したいと考える.

と改めた.「大規模な」が「経済発展」を修飾できるか否かわからなかったが,「"大規模な経済発展"」という言葉でGoogle検索をしたところ,日本経済新聞での使用が確認できたため採用することとした.このように言葉の使い方に迷った場合は,使用例を検索するとよい.さらに最後の文章に着目すると,

東南アジアを拠点に海外事業の拡大を目指す御社のビジネスに参画し,地域産業の根幹に関わり得る鉄鋼事業ならではの規模感と,御社が鉄鋼事業領域に持つ多彩で固有の機能をもって,アジア諸地域のエネルギー溢れる成長に継続的に必要とされる仕事を創り出したいと考えている.

「継続的に」は副詞であるが,その言葉が修飾する動詞がどこにあるのかわからない.そこで私は「アジア諸地域が継続的な成長を遂げるために必要となる仕事を創り出したい」と解釈し,

そこで私は,御社の東南アジア地域での鉄鋼事業に携わり,多くの雇用を創出することで,自身の目標である「東南アジア地域の持続的な経済発展への援助」を達成したい.

と改めた.多くの雇用の創出は意訳であり,オリジナルの文章が主張したいものとは異なるが,「創る」が用いられていることから創出を連想し,結局「雇用の創出」にたどり着いた.

おわりに

つかれた.久しぶりにまともなことを書いた気がする.

 

*1:このサイトから引用した