「馬刺し、食べてみたいんだよね。馬刺し食べたことある?」
研究室の同期(中国からの留学生)がこう話してくれたところから始まった。
「馬刺し?去年何度か熊本行く機会があったから、そのとき食べたよ」
「おいしかった?」
「うん。甘かった。羊より好きな人は多いんじゃないかなあ。」
「いいなあ。つくばに店あるかな」
そういって彼はGoogleマップで検索しはじめた。だが、彼はイスラム教徒であったため、
「けど馬って食べていいんだっけな」
といい、「馬 イスラム」と検索し始めた。
「馬、ムスリムはダメみたい」
「それは残念...。けれど羊は食べてもいいのよね?この前一緒に鍋したときも食べていたし」
「そう、羊は大丈夫」
牛肉は良くて豚肉は食べてはならず、羊肉は良くて馬肉は食べてはならないとするイスラム教が全く理解できなかった。どうして食べても良い肉と食べてはいけない肉があるのだろう、そこに何か判断基準があるのだろうか。彼はそれを察知したのかどうかわからないが、中国語で書かれたWikipediaページを表示しながら、続けてこう話してくれた。
「反芻(はんすう)って知ってる?」
「反芻?」
彼はWikipediaの言語を日本語に設定しなおしてくれた。どうやら反芻とは「一度飲みこんだ食物を再び口中にもどし,よく噛んでからまた飲みこむ」ことを指すらしい。余談だがこういうときWikipediaは便利だ。いろいろな言葉で同じ概念を共有することができる。
「反芻する哺乳類は、ムスリム食べられる」
そんな分類の仕方があったとは!牛や羊は、反芻をする哺乳類だから食べることができる。しかし豚や馬は反芻をしないらしい。
「じゃあ鶏肉は?」
「鳥は哺乳類じゃないじゃん」
「!」
イスラム教は豚肉を食べてはいけない、というのはあまりに有名な事実だが、背後にはこういう判断基準があるとは知らなかった。調べてみると、イスラム教は旧約聖書に大きな影響を受けており、「蹄が分かれており」かつ「反芻する」動物は清い動物と見なしていることがわかった。この条件を満たした動物は神様へ捧げたり、人間が食べたりすることができるそうだ。なぜこのような基準になったかということについては、こちらのページで簡単な考察がなされているので、是非見てほしい。
イスラム教徒である彼がいなければ一生知る機会がなかったと思うと、やはり様々なバックグラウンドをもった人と話すのは刺激的で楽しいなと感じた。またひとつ賢くなったような気がした。